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世界各国に人気バイクメーカーが勢ぞろい

車よりも手軽なバイク。その人気も世界的で、各国に人気バイクメーカーが散らばっています。

ここでは、その人気バイクメーカーを詳しく紹介します。 あなたの好きなバイクメーカーはありますか?

トライアンフ

1)技術

 

トライアンフのバイクは、数々のアワードを受賞しています。それは、デザイン性を重視するとともに、エンジニアリングを極めているからです。トライアンフのエンジンは、パラレルツインと、3気筒を採用しています。これは非常に独特なもので、ほかのメーカーでは見られない特徴的なものです。
トライアンフのバイクには、アーバンスポーツレンジ、モダンクラシックレンジ、クルーザーレンジという3種類のカテゴリがあり、それぞれ、アーバンスポーツレンジには水冷並列3気筒エンジンを搭載し、モダンクラシックレンジには空冷並列2気筒(パラレルツイン)エンジン、クルーザーレンジには、モダンクラシックレンジと同じく空冷並列2気筒エンジンを搭載したものと、水冷直列3気筒エンジンを搭載したものがあります。
アーバンスポーツレンジ搭載の水冷3気筒エンジンは、広い回転数で高いパフォーマンスを発揮するエンジンです。
モダンクラシックレンジ搭載の空冷パラレルツインエンジンは、トライアンフの伝統的エンジンで、ミドルレンジのトルクがすばらしく、スムーズで軽快な加速が楽しめます。
クルーザーレンジのロケットスリーに搭載のエンジンは、2.3リッター水冷DOHCエンジンとクラス最大級で、フューエルインジェクションによる燃料供給でスムーズな加速が楽しめます。

 

2)業績

 

トライアンフは、19世紀の終わりに創業してから、100年以上の歴史を有します。その歴史の中で、幾度となく業績が悪化し、経営不振に陥ってきたことがありましました。
最初の危機は、第1次世界大戦後に訪れます。人員不足のため新しい車種の開発が遅れ、新車種を投入する他メーカーとの競争に勝てず業績が低迷することとなったのです。トライアンフは同時期に、廃業した自動車工場をコンベントリーに購入し、乗用車の生産も開始しています。この低迷期は、2万台を販売することとなる、ベーシックなモデルPを1923年に発売するまで続きましました。
次の低迷期は、1929年の世界恐慌時となりましました。このときは1932年に、まず自転車部門を売却し、ヴァル・ペイジを新たな主任技師に迎えて、新車種を発表し再建を図ろうとするも、自動車部門の不振が財政を圧迫します。このため、1936年、ついに二輪部門がジャック・サングスタに売却され、自動車部門と二輪部門は、完全に分離することとなりましました。
このジャック・サングスタは、この当時、トライアンフと同じく世界恐慌で倒産寸前だったアリエル社を見事に再生させた人物で、トライアンフの再建も彼に託されることとなりましました。新たにスタートしたトライアンフエンジニアリング社に、サングスタはアリエル社から作業管理者としてエドワード・ターナーを、設計者としてバート・ホプウッドを呼ぶ。こうして1937年に、単気筒モデルタイガーと、498ccスピードツイン(T100)を発表し、大好評を得ましました。
やがて第二次世界大戦が始まり、イギリスのコンベントリーはドイツ軍により空襲を受け、トライアンフの工場も壊滅的な打撃を受けます。しかし、政府の援助によって近隣のワーウィックに仮工場を設けて生産を再開し、一方で、新たな生産拠点としてメリデンに新工場を建設し、1942年から操業を開始します。
1970年代に、新たな危機が訪れます。小型車の生産が主力であった日本メーカーの急激な成長によって、トライアンフの販売も押されることとなったのです。トライアンフは負債を抱え、ノートン・ビリヤースと合併し、ノートン・ビリヤース・トライアンフとして再スタートすることとなりましました。メリデン工場では、共同組合が成立され、ボンネビルの製造は続行されたが、1983年についに閉鎖されることとなりましました。
だがこの危機も、実業家のジョン・ブルーアがトライアンフの商標権や生産権を購入し、新たなトライアンフを立ち上げたことによって救われることとなりましました。1990年にはヒンクレー工場が稼動を開始し、現在のトライアンフへとつながります。

 

3)沿革

 

トライアンフの歴史は、19世紀終盤に、ドイツ人実業家ジークフリード・ベットマンがニュルンベルクからイギリスに渡ったことから始まります。1885年、ベットマンは、会社を設立し、当時イギリスで流行していた自転車を販売することにしました。創業当初は、バーミンガムのウィリアム・アンドリューズから供給を受けた自転車を、トライアンフという名前で販売していた。
1887年にはこの事業にエンジニアのモーリス・シュルトが加入し、1889年には、コンベントリーで自転車製造を開始しました。
20世紀に入り、トライアンフのコンベントリー工場は、モーターサイクル事業に乗りだす。1902年、ベルギー製ミネルバエンジンを搭載したバイクを製作、1905年には、完全自社製マシン、モデル3HPを完成させました。
1919年、生産能力の多角化を推進するベットマンと対立したシュルトがトライアンフを去ります。その後、ベットマンは四輪の製造に着手したが、経営はうまくいかず、1932年に自転車工場を閉鎖、4年後の1936年には、モーターサイクル部門もジャック・サングスタに買収されます。
第二次世界大戦中、トライアンフの350ccツインのプロトタイプ、3TWが標準軍用バイクとして承認される。コンベントリー工場は空襲によって破壊されましたが、新工場を設立し、生産を続ける。同時に、メリデンに新工場も建設、操業を始めます。
1950年代になると、競合他社のBSAへ工場を売却するなどあったが、独立経営は変わらず続いていました。
1967年、元BSAグループ関連子会社の常務取締役ハリー・スタージョンが経営者となったが、わずか3年後に死去します。その後、ジョフェ、ユースタスと立て続けに経営者が変わり、日本車の台頭と一貫性のない経営が災いし、経営は窮地に陥ります。
1973年、政府の資金援助により、新企業ノートン・ビリヤーズ・トライアンフが設立され、生産拠点をバーミンガムのスモールヒースにあるBSAの工場に移します。これに反対したメリデン工場の従業員が共同組合を設立、工場で生産を続けたが、1983年には工場を閉鎖することとなりましました。こうしてトライアンフの歴史は終わったかに見えました。だが、不動産開発業者のジョン・ブルーアが新企業、トライアンフモーターサイクルズ社を設立し、トライアンフの名を受け継ぎます。
新企業トライアンフは、次々と新ラインナップを発表し、好評を博していたが、2002年、工場火災で大きな損害を出します。しかしわずか6ヶ月で工場を再建し、全面操業を開始しました。

 

4)戦略

 

トライアンフは、さまざまなタイプのボンネビル用カスタムパーツを用意し、バイクをブティックのように気軽にドレスアップできるとして、従来のライダーに向けたものとは、まったく違うアピールをしています。
Sixty8(シックスティ・エイト)アクセサリーと名づけられたこのパーツは、タンクカバーだけでも、フラワーデザイン、タータンチェック、カラータイプとモノトーンタイプの2種類のユニオンジャックペイントなど、9種類のものが用意されています。簡単に交換できるので、日によって違うデザインが楽しめる趣向です。
パーツの種類は、タンクカバーのほか、赤・アイボリー・黄の、3色のヘッドランプカバーとタンクパッド、黄・アイボリー・赤・シルバーの4色のサイドパネル、黒・赤・黄・シルバー・アイボリーの5色のシートカウルなどがあります。
そのほかにも、シートは2色のタンデムシートかシングルシートを選択でき、シングルシートはラックつきのものも選ぶことができます。カムカバーも3色から選択でき、スプロケットカバーも、黒、またはクロムメッキの穴あき加工のものか、ポリカーボネートのものを選択できます。リアフェンダーも、ジェットブラックとシルバーの2色から選択可能です。タンクエンブレムは、ポリカーボネートのものが、黒字・銀字・黄字・赤字・アイボリー字の5種類、鋳物のものが、アイボリー・黒・黄・赤の4色、計9種類の中から選択できます。

 

5)販売店

 

2008年4月現在、日本全国で46店舗のトライアンフ正規販売店があります。
この中で、19店舗の正規販売店で「R.A.T.」の支部の役割を果たしています。「R.A.T.」とは、「Riders Association of TRIUMPH (ライダース・アソシエーション・オブ・トライアンフ)」の略で、イギリスのトライアンフ本社が運営する、オフィシャルオーナーズクラブです。入会資格は、ヒンクレーで生産されたトライアンフを所有していることです。
R.A.T.へは、入会金、年会費、共に無料で、更新手続きについても無料です。入会は、インターネットから手続きし、管理はすべてイギリスのトライアンフ本社が行っています。R.A.T.の特典は、「トルク」という年4回イギリス本国で発行される会報誌の購読や、会員限定イベントへの参加提携施設の優待利用、R.A.T.イベントの優待参加などがあげられます。
各種イベントは、全国レベル、地方レベル、地域レベルで行われています。ツーリングや、サーキット走行会、ナイトショートツーリング、ライディングスクール、ボーリング大会や各種パーティーなど、各地で精力的に行われています。
また、トライアンフジャパンと正規販売店が主催する「National R.A.T. Rally in Japan」というイベントもあります。スクールやプレゼント抽選会などが行われるイベントです。

 

6)大型車

 

トライアンフには、世界最大の量産バイクである、ロケットスリーがあります。ロケットスリーは、水冷DOHC並列3気筒12バルブ2,294ccエンジンを搭載しており、この大排気量エンジンにより、ロケットスリーは、タンデム走行時においても、ほとんどストレスのない加速が楽します。
しかし、2.3リットルという大排気量のエンジンを搭載しているのにもかかわらず、ユーザーが乗りこなせないのでは、意味がありません。よって、ロケットスリーは、マルチポイントシーケンシャル電子燃料噴射により出力をなめらかにし、低重心にすることで取り回しを簡単にしています。また、旋回半径も最小に抑えています。
倒立フロントフォークは43ミリのロケットスリー専用のもので、リヤサスペンションのプリロード調整式スプリング採用ツインショックにより、さらにコントロールしやすく、安定性も増しています。スイングアームのシャフトドライブは、メンテナンスフリーのタイプです。
ブレーキシステムもスポーツタイプに劣らぬスペックで、フロントブレーキに320ミリフローティングダブルディスクに4ピストンキャリパーを採用しています。

 

7)代表車種

 

トライアンフのバイクは、モダンクラシックレンジ、クルーザーレンジ、アーバンスポーツレンジという3つのカテゴリに分けられています。
モダンクラシックレンジの代表車種は、空冷DOHC並列2気筒865ccエンジン搭載のボンネビル(BONNEVILLE)です。2008年モデルにはフューエルインジェクションを採用し、欧州基準である排ガス規制、ユーロ3に適合します。77.5センチという低シート高のオールドルックな外観と、あらゆる最先端の技術は、「モダンクラシック」というカテゴリにふさわしい作りとなっています。
クルーザーレンジの代表車種は、ロケットスリーです。ロケットスリーは、水冷DOHC並列3気筒2,294ccエンジンを搭載しており、世界最大の量産バイクとなっています。
アーバンスポーツの代表車種は、デイトナ675(DAYTONA675)です。デイトナ675は、水冷DOHC並列3気筒12バルブ675ccという、バイクとしては非常に珍しいエンジンを搭載しており、ケーヒンのマルチポイントシーケンシャル電子燃料噴射システムとクロスレシオ6速ギヤボックスを装備しています。また、デイトナ675はデシタルメーターパネルが特徴的で、プログラマブルギヤチェンジインジケーターや、ギアポジションまで表示される。このほか、ラップタイマーと、各ラップの平均/最高速度の表示機能を備えています。これは、サーキットでのスポーツ走行時に役立つ機能です。

 

8)パーツ

 

トライアンフは、過去のモデルも含め、純正部品の99パーセントを在庫しています。これは、1993年以降にイギリス本国のヒンクレー工場で生産されたトライアンフ用の部品をカバーするためで、そのアイテム数は、25,000種以上にものぼります。
正規販売店に純正部品の在庫がない場合でも、トライアンフ部品配送センターと正規販売店を発注システムがオンライン接続しており、およそ1週間ほどで配達が可能です。(特殊な部品は納期を要します。)
また、トライアンフは、各種パーツを専用アクセサリーとして自社で販売しています。これは、トライアンフが、新型バイクを試作開発段階から、専用アクセサリーを並行して開発および製作しているものです。
トライアンフは、「まずマシンだけを作り、その後にボルトオンできるようなアクセサリーを造るような安易なことは決してしない」と宣言しており、純正アクセサリーにこだわりをみせています。
トライアンフ純正アクセサリーは、アクセサリーをすべて装着したバイクで、イギリス国内や、その他の国でテスト走行を行っています。その距離は数千キロにもおよぶ。また、約2週間、19万キロの走行に相当する振動耐久試験を行うという、プロトタイプバイクと同レベルのテストを実施し、アクセサリーの性能にも絶対の自信を持っています。

 

9)モーターショー

 

トライアンフは、2007年(平成19年)10月26日から11月11日にかけて開催された、第40回東京モーターショーに出展しました。
出品したバイクは、アーバンスポーツレンジの中からは、「ストリートトリプル」、「デイトナ675」「タイガー」「スピードトリプル」です。
「ストリートトリプル」は、2007年夏に発表された新型です。代表的なストリートファイターである「スピードトリプル」の系譜であるが、エンジン特性などは、数々のアワードを受賞した「デイトナ675」のものです。「デイトナ675」と共通の水冷3気筒12バルブ675ccエンジンは、3,500rpmから12,300rpmという広い回転数で、60Nmを超えるトルクを発生し、アイドリングからレッドゾーンまで高いパフォーマンスを発揮する、扱いやすい仕上がりとなっています。
この「ストリートトリプル」は、オプション装着車も展示しました。
モダンクラシックレンジからは、「スラクストン」と「ボンネビル」を展示しました。
「ボンネビル」は、トライアンフの独自アクセサリーブランド「sixty8(シックスティ・エイト)」とともに展示を行いました。
クルーザーレンジでは、2,300ccトリプルエンジンを搭載した「ロケットスリー・ツーリング」を展示しました。
「ロケットスリー・ツーリング」は、エンジンプラットフォームは「ロケットスリー」と共通だが、テールライトとミラー以外、すべて「ロケットスリー・ツーリング」用に新設計されたものを使用しています。
このほか、純正クロージングなどの展示も行いました。

 

10)モータースポーツ

 

トライアンフのバイクは、マン島TTレースで、すばらしい歴史を築いています。
1908年のマン島TTレースにおいて、ジャック・マーシャルがトライアンフ・モーターサイクルで優勝したことが、その始まりです。このレースでは、トライアンフのマシンは、出走8台、完走8台という見事な成績であったと言われています。
その後、トライアンフは、同社として初めてベルトファイナルドライブを廃して後輪をチェーンで駆動する、タイプSDを発表しました。タイプSDは、排気量550ccであったので、シニアTTレースに出場するには、大きすぎた。そのため、500cc単気筒エンジンの「Riccy」が開発され、多くの世界的なスピード記録を出しました。
第二次世界大戦後、トライアンフのバイクは、タイガー100、スピードツイン、349cc小型ツーリングモデルの3Tというラインナップでありましました。
そのタイガー100を駆るアイルランド人ライダーアーニー・リヨンズは、1946年のマン島グランプリで、ホストであるノートンを制し優勝するという快挙をとげています。
1960年代には、スポーツツインの代表といえるボンネビルで、イギリスやアメリカ両国で数々のすばらしい記録を収めた。また、デイトナレース、マン島TTレースでも成功を収め、新車種も数々発表されました。
トライアンフは、2002年3月15日、工場火災により壊滅的なダメージを受けました。しかし、幸いにも研究開発部門は火事の影響を受けず、工場再開後、すぐに4気筒スーパースポーツ、デイトナ600が公表されました。トライアンフは、このデイトナ600で2003年のマン島TTレースに参戦し、イギリス車両として28年ぶりに勝利の栄冠を手にします。続く2004年のマン島TTレースも見事に連覇しました。

 

   
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