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バイクレースに関するアラカルト

MotoGPその2

6)GP250

MotoGPクラスへの登竜門的なクラスと言われ、このクラスでチャンピオン獲得、または活躍した選手は、次のシーズンにMotoGPクラスへステップアップする例がよくあります。参加資格は、16歳以上50歳以下であること。250cc以下の最大2気筒のレース専用車両で競われます。参加メーカーは、 ホンダ、アプリリア、KTM、ジレラ(2007年現在)。
このクラスにホンダスカラーシップで参戦したのは、青山博一(第一期生)、高橋裕紀(第二期生)、青山周平(第三期生)。その他、過去にフル参戦した経験があるのは、片山敬済、平忠彦、清水雅広、原田哲也、岡田忠之、青木宣篤、宇川徹、加藤大治郎、中野真矢、松戸直樹、沼田憲保、宮崎敦ら。
原田哲也が1993年に、日本人で初めてこのクラスでシリーズチャンピオンを獲得しました。原田はその後、アプリリアに移籍し、GP500へステップアップしますが、GP500クラスがMotoGPクラスへ移行したことにより、アプリリアがMotoGPクラスを撤退しました。2001年には原田は再びGP250へ参戦。その原田を押さえて2001年のシリーズチャンピオンに輝いたのが、前年からフル参戦している加藤大治郎でした。このときの功績により、加藤は、文部科学省から「スポーツ功労者顕彰」を贈られています。

7)GP125

若手選手のファーストステップとして位置づけられるクラス。参加資格は、15歳以上28歳以下。ただし、初参戦やワイルドカード参戦の場合は25歳までとなっています。125cc以下の単気筒のレース専用車両で競われます。参戦メーカーはホンダ、アプリリア、KTM、ジレラ、デルビ(2007年現在)。
このクラスは、参加台数がもっとも多く、また、パワーが小さくマシンの性能差が出にくいので、トップ集団が10台前後にもなるのが特徴で、前の選手の真後ろにつき、風の抵抗をさけてマシンを加速させるスリップストリームが有効な走法となります。
かつて年齢制限がない頃は、日本人のベテランライダーが大挙して参戦していました。過去にフル参戦した経験があるのは、畝本久、高田孝慈、上田昇、坂田和人、若井伸之、辻村猛、青木治親、仲城英幸、菊池寛幸、須貝義行、東雅雄、宇井陽一、眞子智実、徳留真紀、斉藤明ら。この中で、坂田和人が、1994年と1998年の2回、青木治親も1995年と1996年に連続して2回、シリーズチャンピオンを獲得しました。

8)ゲーム

MotoGPは、ゲームもいろいろ作られて、実在のライダーやサーキットを使い、各シーズンのシリーズを再現しています。
「MotoGP 07」は、2007年11月1日にカプコンから発売されたもので、プレイステーション2用のゲームソフトです。希望小売価格は税込み7,340円。内容は、2007年シーズンのMotoGPクラスを再現したもので、サーキットは18、ライダーは、ニッキー・ヘイデンやバレンティーノ・ロッシ、ダニ・ペドロサ、ケーシー・ストーナーら21人を収録しています。
ゲームモードは、シリーズチャンピオンを目指すチャンピオンシップモードだけでなく、タイムトライアルをするタイムアタックモードや、気軽に1レースだけプレイするクイックレースモード、また、2人で対戦できるマルチプレイヤーモードなどがあります。
また、携帯用ゲーム機で遊べるソフトもあります。「MotoGP」プレイステーションポータブル用ソフトは、2006年8月24日にナムコレーベルから発売されたもので、希望小売価格は税込み5,040円。こちらは2005年シーズンのMotoGPクラスを再現したもので、サーキットは8、ライダーは、バレンティーノ・ロッシや、マックス・ビアッジ、ロリス・カピロッシら32人を収録しています。ゲームモードも、シリーズチャンピオンを目指すシーズンモード、タイムトライアルモードなどがあり、対戦できるマルチプレイヤーモードは、最大8人まで遊べます。

9)日本グランプリ

第1回日本グランプリが、世界選手権として鈴鹿サーキットで開催されたのは、1963年のこと。日本でのグランプリは、1967年以降休止していましたが、1987年に、再び鈴鹿サーキットで日本グランプリが開催されるようになりました。1999年からは、ツインリンクもてぎと鈴鹿サーキットの隔年開催となりましたが、2000年から2003年までは、毎年春に鈴鹿で日本グランプリ、秋にもてぎでパシフィクグランプリと、日本で年2回のグランプリが開催されました。しかし、鈴鹿サーキットの安全性を疑問視する声から、2004年以降は鈴鹿サーキットでのグランプリは開催されず、秋にもてぎで行われるグランプリが「日本グランプリ」となっています。
日本グランプリでは、ワイルドカードの選手が活躍することが多く、GP500では1994年に前年の全日本チャンピオン、阿部典史が当時のトップライダー、ミック・ドゥーハンやケビン・シュワンツとトップ争いを繰り広げましたが、惜しくも転倒リタイアということがありました。GP250では、2001年からフル参戦を果たす加藤大治郎が、並みいる強豪を押しのけ、1997年と1998年の日本グランプリを連覇するという偉業を達成。またGP125では、前年国際A級に昇格したばかりの上田昇が、1991年にワイルドカード出場でいきなり優勝し、そのまま世界選手権にフル参戦したといったことがありました。
また、1998年の日本グランプリの表彰台では、GP500で2本、GP250で3本、GP125で3本の、計8本の日の丸が掲げられました。2000年の日本グランプリでも表彰台に同じ本数の日の丸が立ち、しかも各クラスのウイナーが全員日本人という大記録を作りました。このことは、自国開催GPにおける日本人の強さを象徴していました。

10)GP500

GP500は、1949年から2001年まで開催されたクラスで、当時の最高峰クラスで、500cc以下の2ストロークマシンを使用していたました。最高出力180馬力以上、最高速度時速315キロ以上、燃料タンク容量は、最大32リットルで、最低重量は131キロ、2000年頃の主流はV型4気筒。環境問題などから、2002年にレギュレーションが変更され、最大排気量990cc以下の4ストロークマシンの参戦が可能となりました。開催クラスもMotoGPクラスと呼ばれるようになり、GP500クラスは消滅。また、2004年からは、参加車両が4ストロークに限定されました。これによって、GP500マシンは、グランプリシーンから完全に姿を消すこととなります。
過去このクラスにフル参戦した日本人は、金谷秀夫、片山敬済、平忠彦、八代俊二、伊藤真一、阿部典史、岡田忠之、青木宣篤、青木拓磨、青木治親、宇川徹、中野真矢ら。優勝経験があるのは、金谷秀夫、片山敬済、阿部典史、岡田忠之の4人で、日本人のシリーズチャンピオンは誕生しませんでした。

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